HISTORY OF YOKOIN

すべては、亡き人の安らぎを願い、先祖に感謝し、今を生きる人々の心に寄り添ってきた、祈りと供養の歴史です。

TREASURES

開山 義雲祖厳禅師 頂相

開山 義雲祖厳禅師 頂相

頂相(ちんそう)とは、禅宗において祖師や高僧の姿をあらわした肖像のことで、師資相承(ししそうしょう)の証として、また遺徳を偲ぶものとして大切にされています。

開基 下方貞清像

開基 下方貞清像

永弘院を建立した武将・下方貞清。上部には、その事績を讃える賛が記されています。

CHRONICLE

四百八十余年のあゆみ

天文七年

1538

戦国時代に始まった永弘院

永弘院は、戦国時代の天文7年(1538)、現在の名古屋市千種区上野・下方町付近を治めていた武将・下方貞清によって創建されました。

当時は、織田信長の父・織田信秀が、尾張国で勢力を広げていた時代です。各地で戦が繰り返されるなか、勝軍地蔵菩薩を深く信仰していた貞清は、自らの無事と一族の安泰を願い、また、亡くなった家族や先祖を供養する祈りの場として、永弘院を建立しました。

寺号の由来
「永弘院」という寺号は、下方貞清の法号である「永弘院心源浄廣居士」に由来します。

天文二十一年

1552

開山・義雲祖厳禅師

永弘院の開山として迎えられたのが、義雲祖厳禅師です。天文19年(1550)に犬山の瑞泉寺に住山し、天文21年(1552)に同寺を退院した後、永弘院に住します。天文23年11月21日、永弘院において示寂しました。

天正十年ののち

1582 —

無住の時代と第二世による中興

開山義雲祖厳禅師の遷化後、永弘院には、後を継ぐ住職を迎えることのできない無住の時代がありました。

寺伝によれば、天正10年(1582)の本能寺の変に際して、開基である下方一族だけでなく、上野村の村人たちも従軍しました。本能寺の変で、農作業や地域の仕事を担っていた働き盛りの男性を多く失ったため、村の人口が大きく減少しました。田畑を耕し、村の暮らしを維持することが難しくなり、寺を支える人手と経済的な基盤も弱まったものと考えられます。

こうした時代を経て、安渓玄泰禅師(二世)は、途絶えかけていた開山以来の法灯を受け継ぎました。永弘院を再び地域の祈りと供養の場としてよみがえらせたことから、「中興」と称されています。

元禄三年

1690

易地再建 ── 現在地へ

言峰如侃禅師(五世)は、現在地へ永弘院を移し、伽藍を再建しました。旧寺地は田地として整えられ、その収益は寺院を維持するために用いられました。この易地再建によって、永弘院は寺院としての基盤を整えることが出来、現在地における新たな歩みを始めました。

幕末

— 1855

幕末の再中興

孝山玄裕禅師(十四世)は、伽藍の整備と寺門の興隆に尽力し、永弘院が近代へと歩みを進めるための基礎を築きました。本堂をはじめとする各伽藍の普請が行われ、仏具や寺宝などの什物もほぼ整えられたと伝えられています。この功績によって、「再中興」と称されています。

残念ながら、孝山禅師の時代に整えられた什物の多くも、後の第二次世界大戦における戦災によって灰燼に帰しました。

昭和二年

1927

明治から昭和へ

明治維新後は、廃仏毀釈や寺領制度の変化など、仏教寺院にとって厳しい時代が続きました。そのような社会の変化のなかにあっても、永弘院は歴代住職と檀信徒によって守り継がれました。

晦翁宗布禅師(十七世)の時代に、昭和2年(1927)に山門と鐘楼が建立されました。

山門と鐘楼は、第二次世界大戦における名古屋空襲の戦災を免れ、永弘院の近代の歩みを伝える建物として、長年にわたり守られてきました。

戦後

1945 —

戦後の再建

獨峰玄猷禅師(十八世)は、戦後の混乱と社会の変化のなかで、伽藍と寺門の復興に尽力しました。本堂、南書院、庫裡、涅槃堂、北書院を建立し、戦災によって失われた永弘院の伽藍を再建しました。

宏道正稔禅師(十九世)は、庫裡を再建するとともに、奥隠寮、茶室、水子地蔵尊、写経塔を建立しました。また、檀信徒とのつながりを大切にしながら、伽藍や墓地の維持整備に努め、葬儀、法要、先祖供養を通して、永弘院の法灯を次代へと伝えました。

現代

— TODAY

現代へ受け継がれるお寺

歴代住職と檀信徒が守り伝えてきた伽藍と寺域を次の世代へ引き継ぐとともに、現代の参拝や法要に適した寺院とするために、境内の整備を進め、今日に至っています。

境内地を拡張し、境内西側には多数の車を収容できる参拝者用駐車場を整備し、葬儀や法要、年中行事の際にも、より多くの方に安心して参拝していただける環境が整いました。

涅槃堂の再建により、葬儀、法要、預骨など、現代の寺院に求められるさまざまな役割を担う祈りの場を整えました。

また、名古屋空襲の戦災を免れた貴重な木造建築である鐘楼は、建物をいったん解体し、傷んだ部材を修繕した上で再び組み上げる解体修理を行いました。可能な限り従来の姿を残しながら、後世へ伝えるための保存修理として、同じく昭和2年に建立された山門についても、現在、工事を進めています。

境内のバリアフリー化と、各堂宇を段差なく行き来できる伽藍内のフルフラット化も進めつつ、高齢の方や車椅子を利用される方をはじめ、誰もが安心して参拝し、葬儀や法要に参列できる寺院を目指しています。

伽藍整備にあたっては、特段のご負担をお願いすることのないような計画的な運営を、先代の頃より、心がけて、行っています。
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現住職 記

LINEAGE

歴代住職

開山 義雲祖厳禅師より現住二十世まで、永弘院の法灯を受け継いできた歴代住職です。年月日は示寂の日を記しています。

  • 開山義雲祖厳禅師天文23年11月21日(1554年12月25日)
  • 二世安渓玄泰禅師中興慶長18年2月3日(1613年3月24日)
  • 三世椿窓寿公禅師正保3年4月27日(1646年6月10日)
  • 四世繁岳栄公禅師万治2年11月20日(1660年1月2日)
  • 五世言峰如侃禅師易地再建宝永5年6月13日(1708年7月30日)
  • 六世悦山永喜禅師元禄16年6月13日(1703年7月26日)
  • 七世鉄船義周禅師享保4年8月20日(1719年10月3日)
  • 八世俊嶽慈雲禅師寛保3年閏4月25日(1743年6月17日)
  • 九世魏峰祖欽禅師宝暦3年8月15日(1753年9月12日)
  • 十世法達知雲禅師宝暦5年11月8日(1755年12月10日)
  • 十一世天住義梵禅師天明6年4月15日(1786年5月12日)
  • 十二世梁山禅材禅師天保2年7月28日(1831年9月4日)
  • 十三世廓宗恵寥禅師文化13年9月5日(1816年10月25日)
  • 十四世孝山玄裕禅師再中興安政2年6月6日(1855年7月19日)
  • 十五世実堂玄證禅師明治12年旧4月12日(1879年6月1日)
  • 十六世誠隠宗愼禅師明治41年10月19日(1908年)
  • 十七世晦翁宗布禅師昭和25年9月20日(1950年)
  • 十八世獨峰玄猷禅師再建昭和53年10月22日(1978年)
  • 十九世宏道正稔禅師平成23年11月26日(2011年)
  • 二十世曹溪俊宏禅師現住昭和50年11月11日生